バナナと日本人
(戒厳令の島から)「殺されると思う。帰れない」
2019年11月17日17時25分 渡辺周
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9ヶ月間の訴え
マニラ首都圏ケソン市にあるフィリピン大学ディリマン校。私がこのキャンプを訪れたのは2019年8月18日の午後だった。
そのキャンパスの一角に、「統一労組ナマスファ」の人々が野営していた。スミフルを解雇された人たちだ。彼らはここを拠点に、中央の政府機関などに対してスミフルが直接雇用をするよう訴えてきた。
キャンパスにはお手製の家がずらりと並ぶ。大木の幹を利用してロープを張り、そこに竹や角材で骨を組み、ビニールシートをかける。長屋のようだ。調理場や水浴び場、菓子などが買える小さな店まである。同じ大学の構内の建物に構えるフィリピン人権委員会のトイレを借りて、用をたす。
彼らがマニラにやってきたのは2018年11月。309人が1,500キロを超える道のりを陸路と航路の2班に別れ、数日間かけてやってきた。1,500キロ超の道程は東京から鹿児島に行くよりも遠い。到着したのは11月の27日と28日。飛行機を使わないのは資金がないからだ。フィリピン大統領府が近いメンジョーラ橋からリワサン・ボニファシオ広場へと拠点を変え、この大学キャンパスに移ったのは3月13日だった。

大学構内の一角に張られたテント。ここに住み込んで、中央政府などに訴えを続けてきた=2019年8月20日、フィリピン・マニラ首都圏ケソン市(C)Waseda Chronicle
【地図】スミフルを解雇された人たちが野営のキャンプを張った場所(フィリピン・マニラ首都圏ケソン市)
セノの涙
キャンプには35人が残っていた。
20日の撤収を控え、9ヶ月ぶりに故郷に戻る直前だった。フィリピン労働雇用省の国家労使関係委員会が、スミフルに対し、解雇した労働者の復職を命じる行政命令を出したことを契機に、帰郷を決めた。ただ、スミフルはこの行政命令を拒否した。本当に復職できるかどうかは、不透明なままだ。
ちょうど、赤と水色と白のストライプのテントの下で、ナマスファの理事、ジャミラ・セノ(28)たちが歌っていた。解雇され、収入を断たれた自らの窮状を訴える歌だった。
ユーチューブにアップする予定だ。そのためのプロモーション・ビデオを撮影していた。
歌詞は自分たちで練り上げた。ブルース、フォーク、マーチの3曲ができた。
このときセノたちが歌っていたのはブルース。彼女がメーン・ボーカルだ。
タイトルは「父や母である労働者」。
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権利のために闘う
そして私たちが正規(雇用社員)になれるように
正規の労働者
私たちが解放されるよう闘う (翻訳・H氏)
【動画】プロモーション・ビデオの収録をするジャミラ・セノ(中央)たち=2019年8月18日、フィリピン・マニラ首都圏ケソン市(C)Waseda Chronicle
(敬称略、年齢は取材当時)
=第1部「戒厳令の島から」は終わります。木村英昭、ロベルト本郷が担当しました。
取材パートナー:特定非営利活動法人APLA(Alternative People's Linkage in Asia)、国際環境NGOFoE Japan、特定非営利活動法人PARC(アジア太平洋資料センター)
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